日本の歴史とセサミン

セサミンを豊富に含むゴマは、原産地であるアフリカのサバンナ地域から中国を経由して、縄文時代に日本に伝わりました。そして、その後、古墳時代、奈良時代、江戸時代と時代が下るにつれて、日本人に広く親しまれるようになっていきました。

今回はこのような日本におけるゴマの歴史について詳しくお話したいと思います。

ゴマの日本への伝来

日本にゴマがいつ頃伝来したのか、はっきりとしたことはわかっていませんが、少なくとも縄文時代にはゴマが栽培されていたようです。
ゴマの原産地はアフリカのサバンナ地域です。この地域では6000年以上も前からゴマが栽培されていました。

その後ゴマは、中近東、中央アジア、中国を経て、日本に伝わりました。

日本では縄文時代の遺跡からゴマの種子が発見されています。そのため、遅くとも縄文時代にはすでに日本でもゴマが栽培されていたと考えられています。

その後の日本におけるゴマの歴史

仏教伝来(538年)

日本で本格的にゴマが広まったのは仏教が伝来した頃からでした。

538年に仏教が日本に伝来すると、ゴマは、ゴマ豆腐、ゴマ和え、ゴマ油による天ぷら等の精進料理の具材として広まりました。

仏教では殺生を禁止しています。そのため僧侶は肉や魚を食べることができません。良質な脂質やタンパク質を豊富に含み栄養豊かなゴマは、僧侶の貴重な栄養源でした。

奈良時代

奈良時代になると、ゴマは大宝律令という当時の法令集に登場するようになります。

大宝律令によれば、当時の租税は米で納めるのが原則でした。しかし、米で納めることができない場合には、代わりにゴマで納めることも認められていました。

この時代にはゴマはまだとても貴重でした。手が届くのは貴族や僧侶等身分の高い人達だけで、庶民にはとても手が届きませんでした。食用にもされましたが、主な用途は油を搾って灯火用の油として使われていました。

江戸時代

さらに、時代が下って、江戸時代になると、ゴマの栽培も盛んになり、ようやく庶民にも手が届くようになりました。

江戸時代にゴマ油は江戸前天ぷらの揚げ油として大流行しています。また、ゴマ煎餅・ゴマ饅頭等のお菓子としてもよく食べられました。

また、江戸時代にはゴマは精力剤としても珍重されました。

江戸時代の儒学者で「養生訓」で有名な海原益軒は「採譜」の中で次のように述べています。

「朝夕食すべし、身をうるほし、虚を補い気をまし、肌肉を長じ、耳目を明らかにす、中風によし」

このようにゴマは滋養強壮に効果があると考えられていました。

ゴマに豊富に含まれるセサミンには、肝臓の機能UP、血行の促進、疲労回復、ストレスの緩和等の優れた滋養強壮効果があります。

現代ではこのようなセサミンの滋養強壮効果は科学的に解明されています。しかし、科学が進歩していない江戸時代でも、人々はこのようなセサミンの滋養強壮効果を経験的に知っていたのです。

セサミンがゴマから発見されたのはつい最近のことです。しかし、それ以前から、このように私達日本人は健康に良いものとしてゴマと長い付き合いをしてきたのです。

Rankingランキング

  • これがイチオシ!セサミンリッチの公式ページ
  • ごまセサミンの公式ページ
  • ごま酢セサミンの公式ページ

Otherその他の記事